後書きでーす

平成19年11月11日の方位とデリーまでの距離

上記図(あちこち方位を利用)は奇門遁甲用です。(気学でも同じく西です)

11月11日の奇門遁甲日盤の西45度方位は丁奇昇殿で八門は景門、数値は23の大吉方位です。
景門と天盤丁はともに学問、芸術、文章などに効果があるので楽しみです。

●帰りについて デリーは東経75度で、日本は東経135度ですから60度の誤差が生じます。
1度4分の違いですからマイナス4時間の誤差が出ます。
しかし深夜便ですから日盤は28日を使います。

方位は北東です。
香港経由で帰国していますが短時間(約2時間)の滞在ですから北東を使って良いと感じました。

景門で数値プラス6の弱吉で天地盤は己の癸で少し心配ですが総合的には問題ないでしょう。
今回のインドの旅は景門が絡んでいますので物忘れの激しい私には最適かもしれません。
 さらに友人のスーは勉強よりはスポーツ派なので効果が出るとうれしい。

5年前のラジギールで水運びの仕事をしていた少女
大人たちに混じって威勢の良い掛け声で走り回っていた。
やっと探し当てた少女はもう娘さんに。精一杯のおしゃれをして私の前に現れた。
低いカーストにこの子は翻弄されてきたのだろう
せめて勉学の機会だけでも与えてあげたい(難しいだろうか?)。
部落の子供たちは底抜けに明るかった。
5年前パトナでお世話になったクラシック・レストランのマスター
息子さんに店を譲ってラジギールに戻った
5年前ここでみんなに私の仕事を手伝ってもらった。うれしかった
新しいマスター

ラジギールのバスストップ(小さな街の一番にぎやかな場所)で5年前の一人旅で大人に混じって水汲みをしている少女に感心した記憶が鮮明に残っていた。そして、あどけない少女も強い印象を受けていた。

この二人に再び会えたこと。特に水汲みの少女に会えたことは今回の旅の中はうれしかったと同時に深く考えさせられる出来事だった。
彼女はインドのカースト(身分制度)の犠牲者だった。

このカースト制度は現在でもインドの民衆に深く根付いていることを強く実感させられる出来事だった。
今回の旅で彼女に会うために私とスーは困惑させられた。
最初にバスストップの売店や露天商の連中に尋ねまわった(5年前の写真を見せて)。その中の連中には彼女の住まいを知っている人たちも何人かいたと思われる。
しかし、肝心なことを聞き出そうとするとあいまいになり要領を得ない。
結局、あどけない少女(彼女は簡単に見つかった)の父親を介して水汲みの少女の大まかな場所を聞き出したが同行を頼んでもよい返事が返ってこなかった。

私とスーは2人で探しに出かけることにしたが今度はカースト制度で蚊帳の外に出された人たちは教育さえ満足に受けていないことに気づかされた。
その蚊帳の外の人たちに彼女の5年前の写真を見せたが英語が通じないのだ。
通訳をしてくれた人も彼女の住居エリアには近づくこともしなかった。

インドの闇の部分に触れた瞬間だった。
5年前にこの蚊帳の外の人たちがイスラムに改宗するとカルカッタでイスラムの祈りを見たときにコトさんのご主人の言葉が脳裏をよぎった。
巨大な人口を抱えたインドが生きていくためには目をつぶらなくてはいけないことでは済まされることではない。
そしてバスストップの連中はもう12歳になれば結婚しているさ。それってどういうこと?
これは根も葉もないうわさだが、警察だって文句の言えない蚊帳の外の人たちを強姦している?

彼女には幸せになってもらいたい!


後書き2(インドで出会った人たち)