板門店(JSA)

2009年2月13日

 外は雨、時おり強い風も吹いている。気温は上がってきている(体感では10度前後の感じ)。
ホテルの隣のコンビニで傘(10,000ウォン)とビニールガッパ(1,000ウォン)、ミネラルウォーター(700ウォン)を購入。
梨泰院ホテルを7時半に出発、地下鉄の駅に着く前に強風で傘があおられ買ったばかりなのに醜い姿になってしまう。
地下鉄 明洞駅から方向感覚が狂いゆとりを持ってホテルを出てきたのにロッテホテルの大韓旅行社に着いたのは約束の時間(8:20)を10分過ぎていた。
 今回の手配は大韓旅行社のホームページから直接申し込んだツアーです(77,000ウォン)。
この悪天候でもこのツアーは出発するというのですがバスに乗ると窓ガラスは水滴で拭いてもすぐに曇り外の景色は期待できそうにありません。

お客が多く2台の観光バスでのツアー ガラスが水滴で外の見えないバスの中

 板門店は軍事境界線で個人で行くことのできないところです。
また、このツアーには韓国人は参加できません。
ツアーには制約が多く特に写真撮影は特定の場所以外は禁止されています。JSA(ジョイント セキュリティー エリア)の北の監視から見えるところでの指差しの禁止、飲酒の禁止、服装にも制限・・・・
バスの中でのブリ−フィングの中でも北が南進して家族が生き別れになったところにくるとガイドさんの声も一段と大きくなり朝鮮半島の悲劇が乗客に伝わってきます。

この旗の左側は韓国、右側は北朝鮮(まさしく境界線) 兵士の護衛で見学している。
左の青い建物が会議、向こうが北朝鮮の板門閣 北朝鮮から見学に来た人はここから会議場に入る
入り口には北朝鮮兵士が警備している(写真右側) 北朝鮮の施設だったと思う
白い杭の向こうは北朝鮮 悪天候でよく見えないが北のタワーと宣伝村
鳥と動物は自由に往来、おかげで非武装地帯は自然の宝庫 国連軍のモニュメント

朝鮮半島のすべての人が考えは違ってもこの国境を嘆いているのだろう。
ある日、突然あなたは北の人、あなたは南の人と別れ別れになったところだ。
世界はいつもたった一握りの権力者によっていつも悲劇は生まれる。
そこには日々生活に汗を流している家族団欒を夢見ている人々の暮らしとは無関係で引き起こされるのでしょうか?
悲しい現実をここで実感した。

北の家族と会える日を夢見ている南の人も、もう老年期に入っているのでしょう。
お正月(旧正月)や祭日には韓国の人か入ることのできる大きな駐車場は満車になり、韓国の人々入れる北と接触できる一番近い場所で「おかあさんー、おとうさんー」と泣き叫ぶという。

タイとラオス、ミャンマーの国境も、ある日突然、あんたはミャンマー人、あんたはタイ人となったのだもの。

このツアーは板門店ツアーを終わると引き続きDMZ(非武装地帯)の第三トンネルに向かいという。
ツアー客のほとんどが第三トンネルに向かうのですが私は昼食後、ソウルにマイクロバスで帰ってきました。

 雨は小ぶりになり傘もささなくてもよい感じになってきました。
ロッテホテルで下ろされた私は場所も確かめず地下鉄の入り口を下します。
あー自分の場所がわからない!
地下鉄乗り場で話し掛けた娘さはが偶然、日本人だった。
梨泰院駅の手前まで行くからといって案内してもらった。
地下鉄の乗り方も教えてももらって

梨泰院の路地裏 そして屋台

明日に続く(2009年2月14日)