ロシア語かんたん辞典

1月6日(木)
7時30分起床。8時朝食。ロシアのパンもこれでしばらく食べられなくなると思うとちょっと寂しい。外はカリカリで中がしっとり、しかも目が詰まっていて、おいしい。
10時ロビーに集合。一週間私を受け入れてくれて、とても疲れているだろうラリサも来てくれた。オーチンラーダー。ママの手作りピロシキと、りんごと、水1.5リットル!!スパシーバ。今日のランチにしよう。最後まで本当にありがとう。
他のホストファミリーも何家族か来ている。みんな写真を撮ったり、談笑したりで最後の別れを惜しんでいる。
10時30分。いよいよ出発の時間。また会おうねと言って笑顔で別れた。
ダスビダーニャ イ スパシーバ!!

最後の朝 夕方の港(1月6日撮影とは違います)


バスに乗って空港へ。あと数時間でロシアを離れるのかと思うと、ちょっと寂しくてずっと外の景色を眺めていた。自分の田舎と変わらない風景。ふと田舎に帰りたくなった。今頃家族はどうしているんだろう。

ルーブルがかなり余っていたので、空港で再両替。31日に100米ドルをルーブルに換え、今日再両替をしたら、63ドル戻ってきた。今回の旅が買い物が目的でないにしろ、本当にお金を使わなかった。もう少しお土産のキャンディーを買ってもよかったかな。またスーパーに行きたいな。
12時頃チェックイン。行きは24kgだったチマダーンが、今日は21kgだった。グループだから大丈夫。ニチボ、ニチボ。
出国審査を受けて、2階の待合室へ。小さな小さな空港なので、1階に小さなお土産屋、待合室には小さな免税店があるだけ。メンバーの誰かが、ケンタウルスがいないことに気づいて、慌てて探しに行ったら、なんとソウル行きの飛行機に乗ろうとしていた!新潟行きの前がソウル行きで、人の流れに乗っていったらそのままソウル行きの飛行機に向かうバスに乗ってしまったそう。飛行機に乗る寸前で気がついたらしく間一髪セーフだった。アスタロージュナ!
ママが作ってくれたたくさんのピロシキをみんなで分けて食べた。ママの愛情たっぷり、野菜もたっぷりでおいしかった。日本のパン屋に売られているピロシキとは違いパン粉はついていなかった。野菜たっぷりの揚げパンといったところでしょうか。それぞれ家庭によって中身が違うそう。昨日のホテルでの報告会のときに分けてもらったピロシキはちょっと味が薄かった。
お弁当を作ってもらったメンバーが何人かいるようで、それぞれ最後のロシアの味を楽しんでいる。みんなで分け合って食べた。

離陸の時間が近づき、飛行機に乗った。いよいよロシアともお別れ。7泊8日は長いかなと思ったけど、あっという間だった。そう思えるのはラリサ、ママ、ラリサのドゥルージアのおかげだし、一緒に行ったヒッポのメンバー、日本で応援してくれたメンバーのおかげ。みんな本当にスパシーバ。

あっという間に新潟到着。久しぶりの日本。ウラジオストクから比べれば新潟でも暖かい。一瞬そう感じた。新潟空港には新潟のヒッポのメンバー、ミミ親子(当日キャンセルになった2人)も来てくれていた。
最後にみんなで写真を撮って解散。大阪方面、愛知方面などパラパラと散っていった。東京組はバスにのって一旦JR新潟駅へ。夕方5時過ぎの新幹線に乗った。2階席だったからチマダンを持って上がるのがキツかった。男性メンバーがいてくれてよかった。みんな機関銃のようにそれぞれの体験を話している。私も帰ってからいっぱい話そう。聞いてもらおう。ヒッポはホームステイが終わった後も聞いてくれる人がたくさんいるから楽しい。話していると新たな発見をすることが多々ある。
大宮駅で埼玉組が降りた。ダスビダーニャ!
夜7時30分東京駅到着。ここで本当に最後の解散。みんなパカー!スパシーバー!

夜9時30分帰宅。ん??キッチンの電気がついている?どういうこと???
どうやら出発の朝、消したつもりが、つけて出かけたらしい・・・。携帯電話も忘れていったから、着信、メールがたくさん。ばかな私。
とりあえず家族に電話した。無事に帰ってきたよって。
日本はもう平成17年。当たり前か。あー、明日から仕事だ!絶対ロシア語で返事しそう。
【このホームステイの感想、良かったこと、これをすればヨカッタ、etc】

一人暮らしの女性と1対1で一週間うまくやれるのか、生活できるのかと、最初は本当に不安だった。(ヒッチハイクらしきこともいきなり経験したし。)でも、ホストのラリサはよく気がつく女性で、いつも私のことを気にかけてくれ、英語が通じることもあって、すこしずつ不安がなくなっていった。

明るいママやラリサのドゥルージアたちもみんないい人たちで、一生懸命慣れない英語で話しかけてくれたり、お構いなしにパルースキーで話してきたり。
最初はまったく分からなかったママのパルースキーが少しずつ、なんとなく『分からないけど分かった気がする』というのを体感できた。知らない人のパルースキーはまったく理解できないけど、ラリサやママのパルースキーはチュチュ分かった(気がした)。

ラリサは物をとても大事にしている人だと感じた。部屋には余計なものが無くとてもシンプルだった。私は、これ欲しいなと思えばすぐ買うし、飽きればすぐポイって捨てる。彼女の部屋には、ティッシュペーパー、ごみ箱がなかった。食べ残したおかずにも、ラップではなく別の皿をかぶせていた。トイレットペーパーは茶色で、ちょっと固め。日本で本当に恵まれた生活をしているなとつくづく感じた。モノを増やさない、大事にする生活をしよう。まずはここ何年も使っていないモノ、着ていない洋服の整理から始めましょうか。

帰国して数日後、改めてヒッポのロシア語のCDを聞いた。あんなに速くて分からなかった音が、とてもゆっくりとハッキリ聞こえた。感動。なぁんだ、ロシア語も簡単、カンタンと感嘆。
それはまぎれもなく、ラリサとママのパルースキーだ。ロシアで自分の耳にひっかかってきた言葉はすべてこのヒッポのCDにあった。全然分からないなぁと思いながら聞いていたCDだったけど、知らないうちに自分の中に音が吸収されていたんだと実感。自分の中にそれがあったから、むこうでその音が気になったんだと分かった。オモシロイ!インティリアースナー!!

もっと写真を撮ればよかった。メキシコ(私は3年前にメキシコにホームステイに行っている)の時よりは多いけど、やっぱり少ないなぁ。残念。

☆物価☆ 1ルーブル=約3.7〜3.9円 (2004年12月現在)
 ○ タバコ1箱     8ルーブル
 ○ バス(市内)    5ルーブル
 ○ ガム(10粒くらい) 9ルーブル
 ○ サーカス    250ルーブル (大人1人)

☆ことば☆ (一部です)
 カニエーシュナ = sure もちろん
 イジスダ    = come here 
 スダ      = here
 ザブーラ    = I forgot
 〜ナダ     = 〜しなきゃいけない

☆持っていってよかったモノ☆
・ポケットティッシュ(たくさん!)
・風呂敷き(ウォッカをタオルで包んでそれをさらに風呂敷きで包んだ)
・カイロ(とにかく寒い!余った分はプレゼントしてきた)
・折り紙とその本(余った折り紙は小さい子供にあげた)
・折りたたみのバッグ(帰りにウォッカを入れて機内持ち込み用にした)
・指先がない手袋(ママが貸してくれた皮の手袋と併せて使った)
・キャンディー、キャラメル、チョコレート、クッキー
 (友達の家に遊びに行くときなどのちょっとしたお土産になった)
・ヒッポドゥルージアが作ってくれたパダールキー

△いらなかったモノ△
・日本食・・・カレールー、白玉粉、きな粉etc
  うちのママは本当に料理上手で、毎食おいしくいただきました。
  日本食を作るタイミングがつかめず、日本食を入れた袋を開けること
  なく帰ってきました。もし、ラリサが3月に日本に来たら、おいしい
  ものをたくさんご馳走してあげよう。海苔は嫌いと言っていた。
・文庫本 数冊・・・ひまな時間があったら読もうかと思ったけど、そんなヒマは
          無かった!

♪あげたパダールキー♪
ラリサへ・・・パッチワークで作ったポーチ
       ビーズで作ったネックレス、ピアス(彼女の耳には穴が開いてなかった!)
       口紅、ヒッポドゥルージアが作った鳥の壁掛け
パパ、ママへ・・・和布でできたカード入れ
         和柄のカレンダー
その他・・・日本のお菓子、えんぴつ、根付、折り紙

☆もらったパダールキー☆
・ウォッカ
・ウスリタイガのハーブティー、はちみつ
・クッキー


・・・帰国後・・・・・
いきなり現実の世界に戻され、次の日から仕事だった。仕事をしていても心はロシアに飛んでいて、「はい」と返事をしなきゃいけないのに「ダー」と言ってしまったり。
ヒッポのメンバーに体験談を聞いてもらい、まだまだロシアモードでいられるのがヒッポのいいところ。みんな自分のことのように親身になって聞いてくれるからありがたい。私の体験が、この夏休みロシアへ行く子供たちにとってなにかヒントになればいいなぁ。スパシーバー!!
谷内 亜希子(やち あきこ) E-Mail akiko-yachi@amada.co.jp

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